下関市の火の山の話の続きです。
火の山の由来は、敵からの守るための、狼煙をあげたことによるものです。
火の山から関門海峡や九州を見渡すことが出来ます。
関門橋の傍にある山が火の山です。
九州からの火の山の眺め
関門海峡は、平安時代の源平合戦から始まり、巌流島の決闘や明治時代の下関戦争など戦いの場所になりました。
理由は、その1でも話しましたが、日本海から瀬戸内海に船で抜ける唯一の場所であり、本州から九州に自動車や鉄道で抜ける唯一の移動地点になるためです。また、瀬戸内海から豊後水道を通過すれば太平洋にも出ることが出来ます。
九州は、北九州や博多、熊本、長崎、鹿児島などの古くからの都市もありますが、江戸時代の参勤交代も山陽道を通り関門海峡を渡っていました。
関門海峡は、本州と北海道の間にある津軽海峡のように幅が広くなく、狭い所はわずか1kmくらいの距離です。現在も下関と九州の間を、鉄道や自動車で毎日通勤や通学している人が多くいます。
このため関門海峡は交通上で重要な拠点になっています。
1.源平合戦
源氏に追い詰められた平氏が、船で流れ着き最終決戦となった場所です。
2.巌流島の決闘
剣豪の宮本武蔵と佐々木小次郎が、関門海峡にある巌流島で闘った場所です。
3.下関戦争
長州藩と当時アジアに植民地をもっていたイギリスやフランス、オランダ、アメリカが戦った場所です。
4.第二次世界大戦
明治時代には、日本の産業革命の中心になった官営八幡製鉄所が関門海峡の周辺である北九州にできました。
最近はアルミニウムやチタン、カーボンなどの新しい素材も利用されていますが、鉄は自動車や船、建物、兵器などあらゆる物に使用される重要な材料です。このため、太平洋戦争では関門海峡の周辺が、本州と九州をつなぐ重要輸送ルートとして、攻撃の対象になったようです。
このように、歴史上の戦いの舞台になったので、火の山を中心に多くの要塞址や砲台址があります。
火の山の頂上だけで、4つの要塞址や砲台址がありました。
砲台址
要塞址
一方で関門海峡周辺の山と山の間の気流により、渡り鳥の絶好の移動地点になっています。
以前撮影した猛禽類です。
4月から5月と9月から10月ごろには関門海峡を通り過ぎていきます。このため火の山など関門海峡の周辺の山で猛禽類を観察できます。
ハチクマ
ツミ