芦屋・宗像サイクリングロード
今日は、北九州市と福岡市の間をサイクリングしたので紹介します。
北九州市の中心駅である小倉駅と、福岡市の中心駅である博多駅の距離は、最短で62kmになります。
北九州市と福岡市
北九州市を出発し、国道3号線を離れ、芦屋町から福津市まで続く、芦屋ー宗像サイクリングロードを走りました。
少し曇っていましたが、玄界灘の素晴らしい景色を確認できました。
サイクリングロードは約35kmです。
2つの政令都市の間にありますが、風光明媚なところが残っています。
芦屋・宗像サイクリングロード
違う日に、ロードレーサでも走りました。
道が良いのでロードレーサで走ると非常に爽快です。
芦屋・宗像サイクリングロード
更に、世界遺産に宗像大社や、嵐のコマーシャルで有名になった宮地嶽神社の光の道があります。
宮地嶽神社の光の道
津屋崎の海岸
その後、新宮町を通り、福岡市に入りました。
サイクリングの走行距離は、福岡市で自転車を輪行したので110kmでした。
そこで、北九州市と福岡市について少し紹介します。
福岡市は博多駅が有名なので、福岡県、特に北九州市の人は、福岡市とは呼ばずに博多と言います。
北九州市の人口は92万人、福岡市の人口は162万を有する政令指定都市で九州を代表する都市になります。
北九州市は官営八幡製鉄所を代表とする20世紀から始まる工業を中心とした都市です。一方で福岡市は、太宰府から始まる7世紀後半から続く商業都市で、博多祇園山笠や博多どんたくなど伝統文化を持っています。
1970年以前は、北九州市が約109万人 福岡市が約80万人でした。
1970年代までに政令指定都市だったのは、東京、大阪、横浜、名古屋、京都、神戸、北九州の七大都市でした。
札幌や福岡なども入っていないのです。
それくらいに北九州市の人口が多かったのです。
20世紀初頭以降に北九州市の人口が増えた要因は、以下のように推測されます。
■ 四大工業地帯の北九州工業地帯の中心に官営八幡製鉄所ができたこと。
最盛期は10数万人の人が働いていました。
■ 北九州市周辺に日本最大の石炭の産地である筑豊炭田があったこと。
製鉄のコークスとしての原料になっていました。
■ 中国航路を中心とした日本3大港であった門司港があったこと。
鉄の原料は、中国から輸入していたそうです。
したがって九州の鉄道も門司港が起点になっていました。
■ 人や情報が集まることにより、大企業の支店や大手新聞社の西部本社も設置されたこと。
まさに、大空港の傍に油田があり、大工業地帯があるようなイメージです。
しかし、以下のような要因で変化が起きました。
■ 戦後、エネルギ革命が起き、石炭から石油に転換したこと。
■ 長距離の移動として電車や船から飛行機に移動手段が変わったこと。
■ 一時期に、中国との国交が遮断されたこと。
■ 鉄は他の材料に比べて単価が安いので、輸送費を考慮し、大消費地である東京周辺に製鉄所の主力が移ったこと。
更に1970年以降に、山陽新幹線が博多まで設置されたころから、九州の中心が北九州市から福岡市に移るようになりました。
例えば、大企業の九州支店やJR九州の本社、大手新聞社の西部本社の実質の機能なども移転しました。
また、福岡市が北九州市よりも決定的に有利になったのは、福岡空港です。
福岡空港から羽田空港までは約1時間30分なので、約3時間もあれば東京の都心に出ることができます。
日本でもっとも交通アクセスのよい空港です。
30分くらいの撮影でしたが、いろいろな飛行機が、福岡空港から飛び立っていました。
福岡空港から飛び立つ飛行機
このため、現在の東京中心の日本では、福岡市は利便性の良い都市と言われています。
一方、北九州市は福岡市よりも衰退しているように感じますが、今までの歴史から他の町にない独特な文化があります。
焼きうどんやパンチパーマ、24時間営業のスーパ、商店街のアーケード、海底トンネル、長大大橋も日本で初めてできたようです。
これから北九州市や福岡市について、私の好きなうどんなどの麺類や食べ物、アウトドアスポーツの場所となる風光明媚なところを順次紹介していきます。